昭和57年08月18日 月次祭 二代



 最近親先生はしきりに仰います、一切信愛論この一切信愛論から申しますと、信心と言うのは信ずる心と書くんですが、何を信ずるか。結局この天地の中に私しを不幸せにしよう、この人を困らせようと言う働きは一切ないんだ、私を助けよう、幸せにせずにはおかんと言う働きしかないんだと言う事を信ずる。この事が信心の眼目であろうと思わせて頂きます。特に合楽で信心させて頂くならば、もういよいよこのところが確信として、頂けなければならないとこう思う訳です。
 それこそ親先生が時の流れの終戦と言う時のながれを頂かれまして、それこそ自分の力で営々として築き上げてきた財産、地位をそれこそ裸同様な形で、日本に引き上げられて見えていよいよ今迄の私の生き方、自分の生き方、自分ががこれでやって来た、自分の才能でやって来たと言う事に見切りをつけられて、これから本当の信心を目指そうと言うことになりまして。それこそいろんな先生方がなさったと言う様々な修行をなさいました。 けれど道はひらけない。心が開けない。本当な事になって来ない。
それこそ親先生が裸一貫で引き揚げて来て、それこそ泣き面に蜂と言う様に、弟のそれこそ弟と同様にして居られる方が。次々と3人の葬式を出される。仕事をしておられた酒屋の仕事も、企業整備の波を受けて商売が出来なくなる、もういよいよあれを取られ、右手を切られ左手を切られという状態、本当いわゆる心のうえのだるまさんになられたわけですね。そこに初めて親先生があの思い立たれたのは、よしもうこの私しでもこの大坪総一郎に、神様が何か願をかけておられるだろう。
 何か私がこの世に生を受けたと言う事は、神様が何かに使いたい、どうかしてこの大坪総一郎を使いたいと言う願いが懸かっているだろう。それじゃもう私しの周囲の起きて来ること一切の事を御神願。こらぁ御神願御成就という言葉を使われたかどうかは知らないけれども。取り合えず黙って受け抜こうと、私しの起きて来る一切の事を黙って受け抜こうと、決意されたのが今日合楽理念の母体になっております。成り行きを尊ぶと言う事のであります。だから私し達が本気であのう成り行きを尊ばせて頂く。
 そのもうひとつ前にいよいよ私達の人力に一遍見切りをつけなけりゃ嘘なんだう。それこそまだ私が出来る、いやぁ私の才能で出来る、私しゃこれこれの財産があるから大丈夫と言うものがあったんでは。本当になんじゅうちに任せられない、神様には任せられないと言う事になるんじゃなかろうか。私しは極限のようですけれども、ほんとに私しは思うのですが。例えばこの世におる時に少々頭がいい人とか、財産がある人とか、器量がいい人と言うのはよっぽど前世の、いわゆる先祖のですね、あのう悪行を積んでおる家柄じゃなかろうかと思うんですよ。
 というのは例えば自分に財産がある、神様に頼る縋ることはいらんと言う人は、それだけ神様から遠のいておることなんですから。ほんとにそれこそ神様に縋らずにおれないという、困った問題がある人は神様がいよいよ接近したいしておられるんだから。こりゃこれ程幸せな事は無い、それに自分な器量が良かけん、自分は財産があるから、自分は学が有るからと言う人は、一生涯神様を知らないままに、あの世にいかにゃん。こんなに恐ろしい事は無い。
 そうしてみたらほんとにやっぱり、難儀のある人は私しは反対に思ってましたよ。よっぽどあの人の先祖は悪い事してきとるじゃろと思いよりましたけれども。本当にこの世で信心がないでですよ、信心がないでこの世で幸せな家庭をしとる。幸せな健康なおかげを頂とると言う人は、よっぽど先祖が悪い事しとられるんじゃなかろうか。これは極限じゃなくほんとにそう思いますね。
 神様を見いだせないままに一生を終えるなんて。是だけ素晴らしい教えを知らないままに、あの世に行かなきゃならないと言う事は。何と不幸な事だろうかと。最近しみじみと思う訳ですが。と同時に私しは合楽の御信心の素晴らしいのは、必ず実験した後は必ず実証が頂けると言う事です。例えば親先生の御伝記をどのページを拾い上げてもそうですが、私しが興奮致しました。こう悟りましたと言う時には必ず、裏付けがあっとるですね。こういうおかげになって来ました。
 こういう実証を頂きましたと言うことになって来てるでしょ。最近そこの所を親先生が信心の喜び、あかげの楽しみとおっしゃるんです。確かに私達が真の信心をしておるならば、真のおかげが伴わなきゃ嘘だと。私しほんとうにその事を思います。最近ほんとにあのう不思議なと言うか、この前も前講で申し上げましたように。どうしてこういう事まで神様は聞いて下さるんだろうか。と言う様なあのう神様のリアルなお働きを最近感じるんですけれども。
 たまたま今度私しの兄弟の、幹三郎君とか栄四郎君とか、東京からとか、いろいろ次々にお客さんがありましたもんですから。大坪家が外に出るときゃもう小型な車じゃ間に合いませんもんですから。中型バスを借りまして、団体で先日海水浴にやらして頂いたんですけど、もうそれこそそのう出る時はもういまにも雨が降り出しそうな天気で。けれどまぁきょう思い立っておるからと言う事で。皆さん一緒にお届けさして頂いて出さして頂いたんですが。
 それほんとに海水浴場に出らして頂いたら、それこそ砂が熱いようにかかん照りになりました。で一日それこそ置いたものを取る様なおかげを頂いて。それこそ楽しい楽しい気象のおかげを頂いて、バスに乗らして頂いたとたん一転俄かに掻き曇ってあれはもう、あのう大分線が停電で電車が通らなかったという日のあのう、雷の日でございましたけども。もうすごぉい雨、雷でございました。で皆んながほんとにおかげ頂いたね。ていうことで帰って参りましたけれど。
 昨日もたまたま東京からお客さんがありまして。伊万里にやらして頂きましたんですけども。これもやっぱりもう行くまでもうだだ降りですよね。さじゃいまから行こうていうて、バスに乗らして頂いたら又かんかん照りなんです。で会場にやらして頂いていろんな買い物それぞれがさして頂いて。また帰りましたら又車の中、乗りましたら又雨がざざ降りになってくるんですね。こういう事がなん遍か続きますから、それこそ子供の恵城が、お父さん不思議な事ね。て言う位にリアルなんですね。
 こりゃもう例えばですけれども。だから私し達の信心が進んでおると言うならば、それだけ神様が近付いておるものを感じなければ、はぁこりゃ神様の御働きて間違いないという働きの中に私しがあるから、今の難儀の中にあるから安心しておれるのであって、先日から親先生が仰います様に。安心しておると言うて本当にそこにおかげの事実と言うものがないならば、それは死んだ宗教に等しい。本当な信心ではないとお互い一遍見極めを付かなきゃ嘘だとこう仰る。
 これだけはっきりおかげの事実を持って、教えられる宗教というのも私しはないと思うですですけども。先程も竹内正教先生が前講で申し上げておりましたように、いま英会話の講習会が、こらは随分九州では画期的な模様しだそうで。随分いろんなあのう新聞にも報栽されて、合楽教会の事が紹介なさったんだそうですけども。まぁ今の英訳では日本一と言われる、松本先生でしたかね、松本先生ともう一人は、イギリスのかたと二人講師を招いて。それこそ夢の講演会と言う様な素晴らしい講演でした。
 で私しも聞こうと思うて行きましたら。英語であるんですよ話しが、全然分らんで出て来たんですすけども。あのうその松本先生と言う方こちらにお見えになったとたんに、それこそもう大変なもうそのなんていうか、胃が痛まれたり、耳が痛まりたりしてですね。でどっか近くに病院がないかすぐ行きたいがと言う事でございましたんですけれど。まぁ偶々田舎でございますから病院がない。そこに井原先生が居られましたんで、じゃ御神米さんをどうぞと言う事で、そこで色々お話ししょった所がなんとその方が。
 泉尾教会で泉尾の先生がご覧の様に、御存じの様にああいう国際的な方でございますから、海外に出られる時にその松本先生と、いつも同道して行かれるというその、泉尾と大変関係の深い先生であって、金光教の事も詳しい知っておられる方だったらしんですけども。事実そのうおかげ頂いて親先生にお取次ぎ願われたとたんに、その自分の病気と言うものがおかげを頂かれた。
 けどほんとにおかげを頂いてみると、今まで聞こえなかったものが聞こえて来るんです。はぁ本当でなかったものが本当にみえてくると言う事が有り難いですね。それから本当に親先生、この親先生は違うと言う様な事からだったでしょう。今朝ほどから親先生と30分位親先生からお話頂かれて、本当に感心して、あのうそのう講演の中で随分親先生のお話があったり、合楽の教えが講演の中に出てたそうでございますけども。
 どういう素晴らしい宗教と申しましても、そこに生きたそういう生きとしたおかげに、事実というものが伴わなければ、本当に親先生が仰る花電車と同じで、それこそそこに動かなければそこに飾っておるだけならば、幾ら経っても目的地に着かないと言う事になる訳です。と同時に私達がこうして信心さして頂いて本当に真の信心をしとると言いながらですね、本当に私達が成り行きを尊ぶと言うて本気で尊んでおるのだろうか。
 そこにはまだ私しが是だけの事が出来る、まぁだあのう人力に見切りがつけられないです、それこそ親先生裸同然に引き上げになって帰ってみえていよいよ自分の力、人力に見切りをつけられた時に、もういよいよもう神様の働きのままに動きしかないと言う、いわゆる手を上げられた状態から、より真の信心が入って行かれたと言う事です。この事をお互いもう一遍確認しおうて、お互い信心をする信ずると言うなら何を信ずるか。それこそこの世の中で私しを幸せにしようと言う働きしかないんだと言う事を。
 先ず信じさして頂いていよいよ私たちの、もう周囲に起きて来る一切の成り行きを、頂かして頂きたい。確かに私達が頂こうと言う気になったらほんとに、あの頂きやすい頂かずにおれないもんだいが次々に起きて来ることに驚くのです。そこにはまた生き生きとした働きがあることにまた驚くのです。信心の育つ喜び、そしておかげの楽しみと言う条理に誤った信心。させて頂きながら、確かめつつほんとうのこの世における、信心いわゆる生き方の本当の姿を基待て行きたいと、こう思わせて頂きます。
 先ほど親先生御結界におつきになっておられたんですけど。急激に先日から容態が随分悪くなられたその時と同様に悪く成られまして。お下がりになられましてで私しが、今から斎主の御祈念という時になってあのう、書付が来ましたから。あれ大事があったかと思って読まして頂いたら。おかげを頂いて元気に、今おやすみになられたと言う事でございまして。一つ親先生はこうやって度々お互いあのう、お具合が悪くなられると言う事を、思うてみてですね。もうほんとにあとは実証実験する以外ない、と思うんだすよ親先生のお話はもう本当に十二分な事を、私し達教えて頂いておる。十二分の料理がここに出ておるんです。だから食べて私達の血肉にする以外ないと言う事を思います。
   有難う御座いました。